『魅惑の霧島』第五回【古事記、日本書紀の中の霧島】

古事記とか神話っていうと、私たちは縁の薄いもののように思うかもしれません。

でも実は、「むかしばなし」という形で知っているものも多いんですよ。

例えば、「海さちひこ山さちひこ」や「ヤマタノオロチ」、「いなばのしろうさぎ」などは覚えがありますよね。私も小さいころに絵本か何かで読んだ記憶があります。

 

 もちろん、古事記にしても日本書紀にしても一千年以上も前に書かれたものですから、原文をそのまま読むことは現代の私たちにとっては難しいです。

さらに厄介なことには、古事記は国内に向けて書かれたものなので、当時の日本の言葉と漢文をミックスしたような感じで書かれています。

ちなみに、日本書紀は外国(当時の超大国である中国)に向けたものなので全て漢文で書いてあるそうです。

 

 手塚治虫の漫画『火の鳥・黎明編』は、この辺の時代を描いたものです。

ただし、登場人物には手塚なりの解釈と創作を加えていますので、古事記などの記述と異なるところもあります(これに関しては手塚自身も触れています)。

それであっても楽しく読めるので、神話の世界への入り口としては良いのかもしれません。

 

 前置きが長くなってしまいました。

霧島がこの古事記に登場するのは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高千穂に降り立ったというものです(天孫降臨)。

この高千穂というのが宮崎(県北部の高千穂峡)なのか、鹿児島側(宮崎との県境の高千穂峰)なのかという論争は未だにあるようですが、今よりもっと広い範囲を呼んでいたのではないかとも思えます。

なぜなら、九州のことを「筑紫」と呼んでいたほどですからね(現在では主に筑前国と筑後国を合わせた範囲をいう)。

 ニニギは初代神武天皇の曽祖父。よその土地から来た皇族、天皇家の祖先が大和国などを抑え、熊襲ら手強い豪族が治めていた九州を支配下にしていったということの象徴なのでしょうかね。

 

 それほどに重要だった土地、九州。

そして、最初にニニギが降り立った高千穂。神話であれ実話であれ、当時も人を惹きつける土地であったことは間違いないでしょう。

そして、天皇家が大陸から朝鮮半島を経由して来た人たちであるなら、故郷が望めそうに高い霧島連山の最高峰に「韓国岳(からくにだけ)」と名前を付けたのも頷けます。

写真:霧島市観光写真素材ライブラリーより