『魅惑の霧島』 第七回【西郷、斉彬と霧島】

私自身、西郷隆盛がどういう人なのかあまり知りませんでした。

教科書に載っている以外で知っていることと言えば、ずっと西郷の肖像とされてきたあの絵や有名な銅像が、本人とは似ても似つかないらしいと言うことくらい。

 

 西郷といえば勇猛果敢で、薩摩隼人の代表という感じがします。そんな彼も小さいころには、怪我がもとで刀を持てないことに引け目を感じているような子だったそうです。

 

 ある時、のちに藩主となる若き島津斉彬が「侍というだけで威張れる時代は終わる。人々のために尽くす侍になれ」と幼い西郷を励ましました。

 

 その言葉を受け止めた西郷もすごいですが、将来の殿様が下級武士の子供に希望の光を見せるなんて、斉彬公の人柄が垣間見えたような気がします。

 

 薩摩は封建社会にありながら、西郷たちのような革新的な思考を持つ若者を育んだ藩だったんですね。そんな薩摩藩士とは……。

 

 いっこっもん(=頑固者)、ぼっけもん(=乱暴者、豪快)、てげてげ(=適当、おおらか)なのが薩摩隼人と言われています。

 

 さらに、隼人という言葉自体は古代、熊襲(くまそ)と同時代にこの辺りにいた種族を指していて、やはり同様に精悍な人たちだったようです。鹿児島の人はこんな隼人の気質も受け継いでいるに違いないですね。

 

 西郷は明治政府の職を辞してからも、日当山温泉(霧島市)へ湯治に頻繁に訪れたと言われています。また、斉彬公は和気清麻呂流謫調査の折に、現在の和気神社に松を手植えしています。

 

 勇猛果敢に大仕事をやり遂げた西郷や斉彬公だからこそ、鹿児島のパワースポット霧島は、やはり特別な場所だったのでしょう。

(歴史上の事象や相関関係については諸説あります)

写真:霧島市観光写真素材ライブラリーより